HOME > マボロシ食堂 >
さて、ブランドのページになぜ食堂なる言葉が・・
と思われる方がいらっしゃると思いますが。
このブランドづくりとはまったく関係なく、単なる趣味のページです。(笑)
食べることが大好きで、それも美味しいものを食べることが大好きな、
でも、人様に自慢できるほどのグルメでもない僕が、
じぶんなりのスタンスで食に纏ろうことを書いていきます。
「マボロシ」と銘打ったのは、
僕が子供時代から食べてきた色々なものから描いていこう
と思っているため。
そして、その、ほとんどがもう食べられなくなっているため。
ゆっくり書いていきますね。
ご期待ください。
2008.02.02 エガミ
日時: 2008年01月30日 11:51
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エガミの幻の食卓 その一
牡蠣。
牡蠣は牡蠣なのだが。
じつは、やけに小さい。
いま思えば大人の親指の爪の大きさ。
下手をすりゃアサリに負ける。
ハマグリにはとうに負けてる。
大陸の高気圧が東シナ海をわたる風を
けちょんけちょんに冷たくする頃になると
昭和40年そこそこの、九州の西の端っこの島
~ 僕が育った五島列島・奈良尾町には
天秤棒をかついだ姉さんカブリのおばさんが
その小さい小さい牡蠣を売りにきていた。
波の寄せる岩場でしぶきをあびながら
きっと「へら」のようなものでひっぺがして
剥き身にしたものを島の裏側の集落からやってきていたのだ。
それを、祖母がどんぶりに一杯買う。
夕餉のおかずだね。
お椀に小さい小さい牡蠣をおたまで入れる。
大根下ろしをその中央に座らせて
庭先からもいだ橙をジューと音がするほど掛け廻して
しょうゆを「の」の字にたらす。
で、生の小さい小さい野生の牡蠣を
お椀ごとちゅるちゅる啜るのである。
軒の端の風切音を聞きながら。
ちゅるちゅる、ちゅる・・。
濃厚さのどこにも見えない
まっすぐな、いっそ爽やかな
少女のような味。
儚いような味です。
その集落も過疎でとうの昔に誰もいなくなり
そんな手間をするおばさんもいなくなった。
いまだったら熱燗、だな。
★実は、もう一生出会えないと思っていたこの牡蠣に
昨年2007年末青山のとあるお寿司屋さんで、
40年ぶりに対面した。いや~驚いた。ホントに。
行き別れの兄弟に会ったかのように。(笑)
長崎産と言っていたので、確かだろう。
日時: 2008年02月15日 12:28
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牡蠣。
牡蠣は牡蠣なのだが。
じつは、やけに小さい。
いま思えば大人の親指の爪の大きさ。
下手をすりゃアサリに負ける。
ハマグリにはとうに負けてる。
大陸の高気圧が東シナ海をわたる風を
けちょんけちょんに冷たくする頃になると
昭和40年そこそこの、九州の西の端っこの島
~ 僕が育った五島列島・奈良尾町には
天秤棒をかついだ姉さんカブリのおばさんが
その小さい小さい牡蠣を売りにきていた。
波の寄せる岩場でしぶきをあびながら
きっと「へら」のようなものでひっぺがして
剥き身にしたものを島の裏側の集落からやってきていたのだ。
それを、祖母がどんぶりに一杯買う。
夕餉のおかずだね。
お椀に小さい小さい牡蠣をおたまで入れる。
大根下ろしをその中央に座らせて
庭先からもいだ橙をジューと音がするほど掛け廻して
しょうゆを「の」の字にたらす。
で、生の小さい小さい野生の牡蠣を
お椀ごとちゅるちゅる啜るのである。
軒の端の風切音を聞きながら。
ちゅるちゅる、ちゅる・・。
濃厚さのどこにも見えない
まっすぐな、いっそ爽やかな
少女のような味。
儚いような味です。
その集落も過疎でとうの昔に誰もいなくなり
そんな手間をするおばさんもいなくなった。
いまだったら熱燗、だな。
★実は、もう一生出会えないと思っていたこの牡蠣に
昨年2007年末青山のとあるお寿司屋さんで、
40年ぶりに対面した。いや~驚いた。ホントに。
行き別れの兄弟に会ったかのように。(笑)
長崎産と言っていたので、確かだろう。
日時: 2008年02月15日 12:40
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漁師の料理の鉄則は
「手早く、うまい」である。
どちらが欠けてもいけない。
さばの味噌煮という、
あのポピュラーな料理を
私はずっと知らなかった。
さばは干して塩したものか、酢で〆たもの、
もしくはソースで炊いたものしか
食べたことがなかったからである。
ソース? そ、ソース!
ブルドックとかカゴメとか、のソース。
コロッケとトンカツの友というより裏の主役である、あのソース。
九州西端の島では「イカリソース」。
船のイカリのマークで一升瓶でも売っていた。
辛味の効いたシャビシャビの水っぽいソースである。
そのソースでさばを喰う。
水で戻した昆布をざく切りにして大きめの鍋に。
しょうがの適量をやはりかけらに切って放り込む。
獲れたてのさばをブツ切りにして鍋にやはり放りこむ。
そこに、醤油と砂糖を少々と、一升瓶のイカリソースをじゃぶじゃぶと注ぐ。
じゃぶじゃぶ、と、です。ナミナミと、です。
強火。
さらに味が染みるようにことことと中火~弱火で。
ただし、絶対に、絶対に焦がしてはいけない。
漁師は漁で手一杯。
悠長に調理するヒマは、ない。
網を上げる前に昆布としょうがを底に放り込み、
ソースと調味料を入れた鍋を甲板のコンロにかけておく。
さばがあがったら、ぶつ切りにして海水で洗い
その鍋に次々と入れれば、よい。
下ごしらえ5分。さばの調理2分。
後は勝手に出来上がる。
煮汁が少なくなったらOK。
わが故郷の町でさばの煮物といえばソース炊きである。
ごはんがすすんじゃって、すすんじゃって。
通常より2杯は多くなる。
でも、もう、10年近く食べてない。
日時: 2008年02月18日 20:43
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島のおやつは駄菓子屋にもあったが山にも豊富にあった。
子供たちは、よく採取生活をやっていた。
ほとんど、縄文人。
春はへびいちご、梅雨時はやまもも、夏は畑からもいだトマト、きゅうり。
秋はあけび、しいの実。秋から冬だったかな、椿の蜜・・。
盗んだサツマイモ(ごめんなさい)。あ、グミとか栗もあった。
坂だらけの島の道を上へとたどると段々畑があり、
そこを頂上めざし登っていくと背の低い広葉樹だらけの一帯。
その辺がわれわれの採取場所。おやつ売り場。
ポケットにビニールを入れて、
昭和の縄文人も8000年前の縄文人と同じく
隊を組んで意気揚々と目指すのである。
当然、苦労がまったく報われないこともある。
ひざ下は藪で擦り傷だらけになり、
服は訳のわからない草の実がまだらにくっつき
ズックグツは泥で汚れまくるのに。
母親に、またどこで汚したのとなじられ
祖父に剣道の稽古になぜ来なかったと詰問されることを
承知で出かけても。
でも、その苦労も見つかれば、OK。言うことはない。
ご贔屓は、やまももと、しいの実。
やまももとは言っても1.5~2cmくらいの鮮やかな赤い色の実。
素朴な甘みと香りの果実である。
実は、やまももは東京都内にもけっこう街路樹として植えられいてる。
結婚したての頃、近所の道路にやまももの木を見つけて、
下を通る人に怪訝な顔をされながら洗面器いっぱい採ったけど、
排ガス臭くてとてもじゃないが食べられなかった。
いまでも、街路樹のやまももの実が
熟れ落ちて道路を汚しているのを見ると
懐かしいような、勿体ないような妙な気分になる。
しいの実は、どんぐりを一回り小さくした感じ。
いま思えば、硬めのカシューナッツのような味だったかな。
やまももも、しいの実も貴重に思えて
だいじにだいじに食べていた。
しいの実、30数年食べてない。
あ、見てもいないや。
日時: 2008年04月15日 15:57
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エガミの幻の食卓 その四
御年9歳。テレビではウルトラセブンが大人気だった。
その魚は、小学校3先生のぼくらが樹上に秘密基地を設けていた
港の突堤のそばにある磯でよく見た。
全長10cm。百数十匹前後の群れが
キラキラ太陽光を反射させながら
子供のふとももほどの汐だまりを泳いでいく。
「ざあまにおっぞ」「獲ろごちゃっなぁ・・」
タモ網もなにも持ってないと地団駄を踏んでくやしがるしかない。
旨そうな大集団はゆうゆうと鼻先の海を泳いでいく。
だれかが群れに向かって石を投げる、一瞬乱れるが、
またすぐに何事もないように集団で泳ぎだす。
目の細かい網で漁師が獲った「キビナゴ」は
刺身、干物という食べ方が普通だ。
ある日。江上家の食卓。
その日はなぜそうした食べ方をしたのか記憶にないのだが
湯引きで食べた。つまり、しゃぶしゃぶ。
で、この湯引き、それ以降食べたことがない。
そういう料理があるのか、
そのとき一瞬の我が家の思いつきだったのか。
不明である。
平たい背の低い鍋を用意する。
昆布だしは引いてあるのかどうか、記憶に定かでない。
細い火でただ湯を沸かす。
大皿に盛られた刺身のきびなご。
数尾をはしですくい、湯にさっとくぐらせる。
表面が白く変わったところで上げて、皿の酢醤油に浸す。
好みで一味を入れておいてもよい。
親父や祖父は鷹の爪を皿の中へ入れている。
鰯科特有の味だが、上品な、あさっりした、美味さ。
大皿の刺身はまたたく間に消えていった。
酒好きな祖父の発案だったのかな。
どうなんだろう。
日時: 2008年06月08日 14:17
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[「かんぼこ」
実は島を出るまで
すべての魚肉製品は自家製しか
食べたことがなかった。
特に練り物。
大小いろんな味のかまぼこ。その他の揚げ物。
あるいは厚焼き、鳴門巻きとか・・。
好物はアジのみで作ったかまぼこ。
長崎・五島の地元言葉なら「かんぼこ」
アジなどの地魚が親戚筋から大量にやってくることがある。
大量というとトロ箱いっぱい。たぶん50匹とか、60匹とか。
あるいは100匹とか。
その時はうちの女衆が総出でその魚たちと格闘する。
祖母、母、叔母二人に子供ら。ある日突然てんてこ舞い。
新鮮なうちは刺し身。といっても翌日まで。
刺し身以外は二つのコースに分かれる。
第一のコースは干物。
きつめの塩をされて庭の洗濯物の横で日光浴をする羽目になる。
第二のコースが練り物。
特にアジは「かんぼこ」である。
皮をはぎ、三枚におろし、切り身にして
すり鉢でうんうん言いながら擂る。
子供らは祖母らがする擂り鉢の押さえ役。
卵の白身や調味料をいれて、また、擂る、擂る。
粘ってプリプリとしてきたら、小さい板に木べらで
塗りつけていく。あの、かまぼこ型に。
すり身は寝かせた時間により硬さが変わるものらしい。
最後に食紅をハケで塗って、三段重ねのせいろで一気に蒸す。
肌の色が落ち着いて少しグレーがかり、
食紅から赤のどぎつさが抜けてくると蒸し上がり。
アツアツよりも冷えてきたところが美味い。
板からはがしそこなったところも美味い。
というか大好きだった。
この自家製の「かんぼこ」がとてつもない贅沢なのだと
気づいたのは島を出て17、8年もたったあとだった。
板わさで一杯やりだした頃かな。
日時: 2008年06月15日 15:19
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祭り、お正月、節句、運動会。
そうなると出てくる定番の祝い事の料理っていうのが
地方には多々ある。
わが島も例外ではなく、たくさんあるのだが
子供らの大好物に自家製のようかんがあった。
通称「豆ようかん」。
素朴な手作りのようかんである。
町の、端午の節句(子供の日)は、
ご馳走を作るのだが。
この日は、お重に詰めたご馳走を
子供たちだけで持って出かけて町の好きな場所で食べていい、
という変わった節句だった。
その日は、ほんとに、子供だけで出かけて、どこで食べてもいい。
小学生のエガミくんは自分家の敷地の人目につかない場所に
友達とつどってたべたり、公園で食べたり。
山の畑まで登って町を見おろしながら食べたり。
その日だけ、治外法権。
完全放し飼いの日。
五月の節句というとなぜか「豆ようかん」を思い出す。
幻の食卓といいながら、
これはきちんとレシピ通りに作れば
みなさんも食べられます。
出身地のホームページにあった作り方を載せておきます。
●材料:小豆300g 砂糖360g 塩小さじ1/2杯 小麦粉80g 片栗粉40g
●作り方:
1 小豆は洗って、鍋に入れ、小豆の約4倍の量の水を入れて煮る。沸騰したらお湯を捨てる。
2 1に同量の水を再び入れ、弱火で約1時間丁寧にアクを取りながら柔らかくなるまで煮る。
3 ゆであがった2をざるに上げ、ゆで汁からあんこをしぼり取る。
4 ボウルに3と砂糖、塩をよく混ぜ、あら熱をとってから小麦粉と片栗粉を混ぜて、流し缶に流す。
5 4を蒸し器で40~50分程度蒸す。
6 5を冷まし、流し缶から出して切り分ける
ちなみに私は長崎の実家に年末に帰省したときは
お袋手製の豆ようかんを必ず食べている。
甘いものを売る店もない時代、
島の人が工夫して食べようとしたお菓子。
砂糖をすこし少なめにするとさっぱりとした味になります。
どうぞ。
日時: 2008年07月05日 21:12
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このお店の閉店は本当に悲しかった。
残念。
ご主人の奥様が体調を崩されて続けられなくなったようです。
ご主人と奥様とアルバイトの三人でやっていた小さなお店なので
しょうがないですね。
閉店は2008年2月29日。
僕の実家は長崎にある。
長崎はみなさんなんとなく想像できるように
海、山に囲まれて、はっきり言ってグルメ天国。
五島で育った僕としては美味しい魚を筆頭に
帰省したときの楽しみはお袋の料理と
他で食べられない「ウマカモン」を食べることにある。
この長崎での「ウマカモン」の最上位に輝いていたのが・・
・・・とら寿司。
長崎の浜の町アーケード街という中心街の
路地を入った地味な地味な通りにある小さな小さな寿司や。
でも、お寿司に関して言えば、天国でした!
自慢じゃないが、東京のかなりのレベルの寿司やにも
負けないというか、ぜんぜん凄い寿司を出す。
そりゃ、銀座の次郎とか、水谷とか、久兵衛とか、人形町の喜寿司とか。
江戸前の第一級の味と、まあ単純に比較できないことは分かっていますが、
でも比較したい数少ない寿司やだった。
スゴイかったなあ。
絶品打率は平均3割。
いい日に当たると5割。
これは相当。
上の日本の超一流のお寿司屋さんでも
絶品!と唸れるのは、まあ、10かん食べて1~2かん。
4かんもあれば凄いこと。
なのに長崎の田舎の寿司やが5割を超えることがある。
うに
鰆
本マグロ
鰺
鯖
穴子
クマエビ
平目
平貝
ほか色々(あ、思い出すだけで・・・!)
完全に地の物しか扱わないから、時化が続くと閉店。
その日に市場でご主人が仕入れてくる。
本マグロも五島の定置網に入ったもの。
穴子は有明。
分厚い脂ののった鯖は玄海。
以下同様。
お昼は11時半だったか12時かに開店。
夜は17時開店。
予約は受けないし、ネタは少ないので、
しっかり食べようと思ったら開店前に行って並ぶしかない。
開店すると7席しかないカウンターはすぐいっぱいになってしまう。
なおかつ昼は13時前後に。夜は、ほぼ18時前後には
ネタが切れると判断してのれんをおろしてしまう。
いつ開いてるんだよ!とお店をやっている時から
閉まっているので有名な寿司やだった。(笑)
だから、行くとなるとその日の朝、電話して確認して
1時間前に行って近くの街をブラブラ。
開店10分前には店先に陣取って、待つ。
入ると同時に着座。
固く絞った熱い熱いお絞りをつかって、
あとはネタをおすすめからツマミ、寿司を攻めていくのだ。
いままでのとら寿司生涯ベスト3は・・
1. 有明の穴子
立派な二等辺三角形の厚過ぎもせず、
薄くもない程よい身頃が
ややあっさり目の味付けで柔らかく煮含めてある。
その大きめの穴子にとろりとしたツメが
少し垂らしてあって。
小さめのシャリは完全に隠れているのだが、
これを頬張るとクリーミィな穴子が口の中で
ほぐれながら舌を直撃。
もう、なんというか腰が砕けそうな旨さだった。
呆然。
あんまり旨いと口がきけなくなる。
いまのところ、これを持って日本一の穴子体験と
僕は位置づけている。
いま、マジ。
一昨年、昨年と東京の名だたる寿司屋で
穴子を食べたが、このときの穴子を
超えるものはいまだ現れず。
誰かスゴイ穴子をご存じ出来たらご一報を。
2.鰆
変わり寿司。焼いた鰆にイタリアンみたいにネギ?
を入れたオイルが少し垂らしてある。
要は焼き魚寿司。他はふつうの握りだけど
このお寿司だけが技巧を凝らしたもの。
でも、美味しい。
焼き鯖のお寿司をもっと上品に薫り高くした感じ。
絶妙の焼き加減が素晴らしかった。
とら寿司、定番のお寿司。
3.ウニ
五島か、対馬か。
北海道の馬糞海胆などと違って、もっと礒の味が濃い。
濃厚で爽やかという二律背反を
オレンジ色の中に込めている。
小さめのシャリに海苔。
ウニを乗っけて頬張るとたまりません。
弟夫婦はこれが大好きだった。
日によっては物凄い絶句する旨さの時がある。
その他
いや、実に、ほんとにほとんどのネタが美味しい。
うれしいのは、これだけ美味しくてお酒を飲んでツマミも食べて
お腹いっぱいになって、ご予算は銀座の半分以下。
たまらないです。
たまらなっかったです。
毎日行きたかったですもん。
詳しく知りたい方は・・
山口瞳 「行きつけの店」 (新潮文庫) をどうそ。
ちなみに作家の遠藤周作さんも大変なご贔屓だったそうです。
日時: 2008年08月26日 00:39
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久々に家でぜんざいをたべた。
おもちをいれて豆を多めにして。
日時: 2009年01月27日 01:02
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え~、醤油を塗った大福を焼く、というより軽くあぶったもの。です。
餡は漉し餡。ふふふ。
当たり前だけど、この醤油の少しだけ焦げた味と、それと塩味と
餡の甘さが絶妙。うまいんだな、これが、ほんとに。2^^3
横浜市港北区大倉山の「わかば」という和菓子屋さんで買えます。
でも、なぜか季節限定。ちょっとだけ不満。(笑)
日時: 2010年02月25日 01:35
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韓国3日目。午後、韓国の友人達がマッサージに連れていってくれるというので、彼の会社のある江南地区へ向かう。東京で言えば青山、表参道地区。広い道路とブランドのお店。途中三人とも何も食べてないということで、道路沿いの地味なお店に。観光客など一人も来そうもないお店だ。食べたのは、干したスケトウダラを戻した鍋。名物のようだ。デトックス効果が凄く、アルコールを飲んだ翌日にいいそうだ。友人のバンさんによると、広島、長崎で被爆した韓国人は、これを食べて放射能をデトックスしたという。カルシウム、ビタミン、鉄分が豊富で、美肌や若返り効果もあるという。澄んだスープに、すけとうだらと、ねぎ、もやしというシンプルな鍋。ごはんとキムチ、ナムル、もやしのお浸しなどの副菜がつく。滋味あふれる味。しみじみ美味しい。からだにスーーとしみて行く味。お店のおじさんによると、シンプルな混ぜ物のない作り方をしているのは、ソウルでうちだけ!だという。事実はどうあれ(笑)美味しい!マッシソヨ
日時: 2010年03月27日 18:46
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沖縄で天然酵母・石窯焼きのパンをつくり、
全国に販売しているカリスマ・パン屋さん【宗像堂】があります。
パン好きに有名なお店で全国から注文があります。
店主のパン屋さんは私の大事な友人ですが
彼は福島出身。この東日本大震災で復興のために
何か尽力したいと、被災地へのパンの送付を始めています。
被災地でパンが欲しいと思っている方は彼のサイトにアクセスして
ご注文ください。
【以下 宗像堂のメッセージ】=================
この度、東北関東大震災により犠牲になられた皆様のご冥福をお祈
り致します。また、被災されご不便な生活を余儀なくされている
方々の日常生活が一日も早く回復されますようお祈りするととも
に、私どもにできることを常に考え、実行して行きたいと思います。
実は、私の郷里が福島県です。見慣れた風景の東北が津波に飲み込
まれて行く映像や、震災でメチャクチャになっている町並み、被災
で家族を亡くされた方、未だ消息が分からない方、原発を巡る様々
な報道。胸を引き裂かれる思い、胸が締め付けられるように痛い痛
い日々です。私の両親につきましては、震災後、福島原子力発電所
3号機の爆発の報道の後、情況がすぐに収束する事が考えられな
かったため、直ちに避難してもらいました。両親は、原子力発電所
の現状を鑑み、現地に残した親戚、知人の事を考えるといたたまれ
ない思いの毎日を過ごしております。戻りたい思いと、先に出て来
た罪悪感との狭間で揺れています。
しかし、先日の政府の発表から、原発事故の収束は年単位での長期
的な課題となるようです。言い換えれば、数年間、放射能は降り続
ける様子。子ども達、女性に関して、あえてリスクを冒すよりも出
来る限り避難してほしいというのが私の願いです。これから先の長
い人生の中の数年、故郷を離れ、別の文化に触れ、学ぶ機会が出来
たと思えばいいのではないでしょうか。過去には戦争による疎開と
いう言葉がありました。今回に関しても、疎開、事態が収まれば戻
る。という考えを多くの方が決断される事を望みます。
このHPをご覧になり、パンを届けたい方、今宗像堂のパンが
必要だという方がいらっしゃいましたらご一報下さい。福島、宮
城、岩手県に置かれましても、現在、営業所止めで商品の発送が可
能です。パンと一緒にお手紙など送られたいものがありましたらご
相談下さい。また、被災地でなくとも、元気のでない方、元気づけ
たい方に私どものパンをご利用下さい。
私どもでお力になれる事を全力で取り組んで参ろうと思っております。
どうぞお気軽にお問い合わせ下さいませ。
宗像堂
宗像 誉支夫
日時: 2011年04月01日 12:43
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